平成27年7月2日から5日まで3泊4日まで端島炭鉱軍艦島へ旅行へ主人と出掛ける。泉大津港から豪華船阪九フエリーで一晩かけて新門司港に午前6時に到着する。熊本城散策、加藤清正築城の城ので戦に備えての城の構え、武将たちの城にかける情念が伝わってきました。雲仙地獄は摂氏98度のお湯が沸きイオウの匂いそこらに漂っていました。江戸時代にキリスタン弾圧の時に信者さんを生のままに投げいれたと聞き惨さに考えさせらせました。いよいよメインの軍艦島である。外観が軍艦「土佐」に似ている事から軍艦島と呼ばれるようになった。「明治日本の産業革命遺産九州関連地域」として世界文化遺産に推薦せれました。南北480m、東西160m、面積63000平方mの小さな島で高層鉄筋アーパトの集合住宅こ建設、人口5300人、学校や病院、商店、映画館パチンコの娯楽施設もあり、みんな生き生きと生活されていましたが、石炭から石油に変わり昭和49年に閉山になり無人島になり現在に至っている。所得もあり豊かに生活されていたとの事でした。現実を真のあたりにみて人様の生活の凄まじさ、いき魂などがここに集約されているのだな。苦労もただあったでしょうがあっぱれだったと思いました。二人で共有できた時間を持てたのが幸せでした。お父さん有難う御座いました。
by ousetuko12
| 2015-07-22 15:21